逃げ場所はあるよ
いじめに関するエントリ(逃げ方、避け方、守り方)に多くのトラックバックをいただいた。
その中に、
- 「ではどこに逃げれば良いんだ」
- 「逃げ場所なんかない」
- 「『外』は無い」
というご意見があった(たとえば、2008-04-08さん)。
もっともなご意見だ。
僕は、この意見を、「いじめられている当事者に対して、周囲の善意の第三者が、当事者に成り代わり異議申し立てをしている図」として読んだ。
その上で、二つ問いたい。
当事者が「逃げる」という姿勢を持つとき、問題は解決の方向に歩み始めている
ひとつ。その言葉を発している人間は誰なのか?
僕は、当人がこの問いを発することが出来たら、かなり解決へ向かっていると考えている。
少なくとも、「逃げる」ことを覚えられる。
たとえば自殺は、最悪の選択であっても、当事者にとっては一つの選択だ。
いくつかの選択肢のうち、それしか選べなかったから自殺した。
周囲が「いくらでも選択肢はあっただろう」と言うのはたやすいが、自殺以上の選択肢が、「当事者にとって」無かったのだ*1。
つまり、「逃げ方」が分からなかった。イヤでイヤでたまらない人間と、イヤでイヤでたまらない関係を結ぶか、死を選ぶか。
そんなものは選択とは言えないが、そういう風に選択肢の幅が狭められてしまったのだと思う。
「あなたは飛び降りて死にますか?毒薬を飲んで死にますか?ご自由に選んでください」などという選択が、自由な選択といえるだろうか?
むしろそれは、だいぶ追い詰められて、当人にとっての選択肢がだいぶ狭められている状況だろう。
その「当事者」に対して、第三者が「逃げ場所がない」などということはおかしいことだと思う。
その第三者は、当事者の何を知っているのだろう?
当事者の見えている、何が見えていてそのような「一般論」を掲げるのだろう?
実は、「逃げる」とは、自分自身が変わっていくことでもある。
そうでなければ受け取れない果実、というものがあるのだ。
「逃げる」ことで、選択肢が広がっていく。
変わるのは世界だけではない。
世界を構成する当事者本人が変化するのだ。
現在は、「耐えるか、死ぬか」という選択肢しか見えていないのかも知れない。
けれど、その選択肢が、もがくことで、助けて欲しいと手をさしのべていくことで、必ず増えていく。
問いを発しているのは誰ですか?
問いたいもう一つは、「あなたは、いまどこにいますか?」「そういうあなたは、では何が出来るの?」だ。
あなたが「逃げる」姿を見て、他の人は逃げ方を覚えるかも知れない。
あなたが逃げ方を知っているのだったら教えればいい。
分からなければ「わからない」と言えばいい。
なぜ、「自分が行き詰まっているから世界全体が行き詰まっている」という考えに引きずり込もうとするのだろうか?
「自分が行き詰まっているから世界もオワタ」教に引きずり込んじゃいけないよ。
あなたの見えている世界が全てなのか?
「あなたが行き詰まっていると見えている世界」はあなたの頭の中にある、今のあなただけの世界だ。
あなたにとってそこで完結していようとも、他の人がその行き詰まりから逃れられないと言うことにはならない。
正直、ブログで発言できるだけの力のある人には、十分にオルタネイティヴな選択肢を見つけるだけの体力も知力も現時点で備わっていると思う。
だからこんな辛辣な言い方になってしまうのだけれど。
「俺だって当事者だ」と言われるかも知れないが、あなたも十分大人だよ。
一緒に大人として、「逃げ場所」をつくっていこう。
そして、「いったいどこに逃げればいいの?」という問いは、まだ言葉を発せられない「当事者」に残しておいてあげよう。
その問いを発することで、変化への大きな前進があるのだから。
「逃げ方」はオーダーメイド
「逃げ方」はオーダーメイドだ。既製品ではない。決まっている姿はない。
一人一人に合う服が違うように、「逃げ方」も一人一人によって違う。
それぞれ一人一人が、その過程を経験し、感覚が変化し身体能力が状況に適応し、まさに体が変わることではじめて得られるものだ。
現時点では想定することすら出来ない未来が、他者が、その手の向こうにはいるのだ。
だから僕は、「逃げろ」と言い続ける。
具体的なやり方は、一人一人が手探りして探すしかない。
既製品である「答え」などないのだ。
僕が出来るのは、「そこよりもっと違う場所があるはずだ」ということだ。
だってそれは、今の時点では見えていないのだから。
これから生み出されるのだから。
今、どんなものかをなんて、言うことは出来ないよ。
逃げた先のことをすべて、今のあなたが、どうしてわかるの?
「ともに生きていこう」とさしのべる手は、今は見えないのかも知れないけれど、きっとあるよ。絶対にあるよ。間違いなくあるよ。
「自己責任」論なんてくそったれだけど、あなたに僕はなることが出来ない。
僕が出来るのは、あなたに「こっちにおいでよ」と声をかけることくらいだ。
話を聞くことくらいだ。
ぜひ、言葉を発して欲しい。
苦しんでいるあなたが、言葉を発して欲しい。
その先には、きっと、あなたを支えてくれる無数の温かな手が待っているよ。
その手が届くまで、少しの間だけ、生きてみて。その場に踏みとどまってみて。逃げるための算段を練ってみて。
当事者ではない、第三者である僕は、励ますことしかできない。
けれど、励ますことそのものが目的になってしまうのは本末転倒だから、小さな声で(甲本ヒロトがつぶやいたように)言おう。
「人にやさしく」THE BLUE HEARTS
ところで
「逃げる」という表現はよくないので「引っ越す」とかにした方が良い、というご意見をいただいた(はてなブログさん)。
もっともなご意見である。
ただ、話の流れから、あえて「逃げる」という表現を使わせていただいた。
その含意は、おっしゃることと同様である。
続けなくたって良い戦いというものは、世の中にたくさんあるのだ。
おしらせ
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